表裏貫通錦練上手世界最大の大壷
小さな作品ネックレス
菊花文壷
初夏の水辺
菊花文大皿
ツル文飾り皿
貝型菓子器
木葉型菓子器
煎茶器
棗と香合
網代牡丹飾り皿
煎茶器セット

表裏貫通錦練上手 Web Collection
表裏貫通錦練上手初作
椿花文壷
鯉文透かし壷
椿花文水指
窯元看板
内田泰秀ブロンズ像

この茶碗は、初めて表裏貫通錦練上手に出会った
作品です。昭和44年9月三次 法音寺にて出会い
後日 私宅まで持参下さいました。
この作品は、献上の為に焼成した茶碗で、二つしか
出来なかった内の一碗です

椿花寄抹茶碗

    内田泰秀 福山ゆかりの孤高の陶芸家
 
幻の表裏貫通錦練上手考案者 幻の陶芸作家  幻の名工 

酒杯

直径500㎜ 高さ500㎜

ネックレス  (小さな作品)

椿花文水指

高さ170㎜直径170㎜

高さ350㎜直径260㎜

菊花文透かし壷

鯉文透かし壷

椿花文抹茶茶碗
この茶碗は 昭和50年正月 窯出ししたところ
内側に 大きな貫入があり 壊して棄てるところを、
お願いし頂きました。
後日補修して 持参したところ 銘慕恩碗
と銘を付けて下さいました。 意味は

「生みの親より 育ての恩を忘れるな」

銘慕恩碗
姫谷窯元跡
 
   内田泰秀氏の錦練上手                            久志卓眞  

  「練上手」ていう言葉自体が、中国陶瓷を深く研究した人 でないと解らない言葉で、世人にとって
 「練上手」という言葉が何と響くか興味深いものがありました。
 大体錦練上手というのは、西域(支那漢代に、玉門関及び陽関以西の地域の総称)の鶉手グラス・
 練上手グラスに根ざす唐宋の磁州窯等の練上手に由来するものであって、我が国でも諏訪阿蘇山氏・
 小森忍氏等によって、見事に摸倣されましたが、その技術の進展というものはなかったので有ります。

  近年花明山窯(大本教)が織込手と称するものを工夫し、この世に一進転機をもたらしましたが、
 色象がん風技術を表芸とする内田泰秀氏の錦練上手というようなところまでは達しなかったので有ります
 内田氏が、色土象がんというべき精巧な錦練上手技術完成のために費やされた努力と費用は想像に
 絶するものが有り、氏の如き信念と向上心、切々たる芸術思慕の情けなくしては、今日の成功は
 あり得なかったと信じます。

  氏の風流な芸術的雰囲気は現代の工人に見られない文雅な貴さを含んでおり、私は内田氏の陶芸に
 乾山の盤ねんの至妙の鏡のような高く深いもの展開することを期待してやみません。
 本稿は昭和35年8月東京三越本店で行われた内田氏の作陶展に寄せた久志先生の評論の
 抜粋で有ります。

 表裏貫通錦練上手初作
横線椿碗 (昭和31年63才)

表裏貫通錦練上手世界最大の作品
    錦練上手花文大壷

水指
桜花文茶碗
三次の窯跡

椿花文壷

チャボの親子
菓子器
椿花寄抹茶碗
ネックレス
内田泰秀

現在の窯跡 (駅家町姫谷)昭和49年~

三次時代の窯跡 昭和49年まで

チャボの親子

水指

水指

貝型菓子器 昭和48年80才

木葉型菓子器 昭和53年85才

ツル文飾り皿 昭和532年85才

直径380㎜

内田泰秀

桜花文茶碗 昭和58年90才

 銘慕恩碗 昭和50年82才

椿花寄抹茶碗

椿花文抹茶茶碗 昭和58年90才


菓子器

どんぶり

どんぶり
水指
水指
表裏貫通錦練上手 特許證
特許第403952號 特許廰長官 今井善衛
  發明の名稱「貫通した模様を有する陶磁器の製造法」

発明者 内田泰秀  昭和38年2月26日
 
銘慕恩碗
煎茶器
酒杯

煎茶器

棗と香合

直径380㎜

夫婦湯呑

夫婦湯呑

煎茶器セット

初夏の水辺 昭和58年90才

菊花文大皿 昭和56年88才

網代牡丹飾り皿 昭和62年94才

内田泰秀 ブロンズ像  曽我紫峰作

煎茶器